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1940 | 1943年4月28日、パリに生まれる。 父親はパリ炭坑のエンジニアとして働くかたわら、 地元のダンスパーティーで活躍するピアニスト。 そんな環境で育ったデュトロンは初めは ギターよりもピアノを好んで演奏する。 |
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1960 | 17歳 リューマチを患い、学校を休学。 ベッドの上でギターの練習をする日々が続く。 |
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1961 | 18歳 他の友達3人と一緒に バンド「レ・トリトン」を結成。 映画や学校に行ったり、当時の人気クラブ、 ゴルフ・ドゥルーに通ったりする。 |
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1962-1963 | 19〜20歳 2番目のバンド、「エル・トロ・エ・レ・シクロンヌ」では 2枚のレコードを発表。 ヴォーグ・レーベルのアーチスト担当である ジャック・ウォルソンが彼らに目をつける。 |
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1964 | 21歳 兵役が終わって、ギタリストになる。 特にエディ・ミッチェルや ヴォーグ・レーベルのアシスタントの仕事をする。 フランソワーズ・アルディのために「恋の季節」と 「ヴァ・パ・プランドル・アン・タンブール」を作曲。 |
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1965 | 22歳 ジャック・ウォルソンが 月刊誌「プレイボーイ」の編集長である ジャック・ランズマンの歌詞をデュトロンに渡す。 デュトロンはそれらの作曲をしたが、 演奏する歌手を見つけられなかったので 自分でレコーディングすることを決意。 このファースト・シングル「エ・モア・エ・モア・エ・モア」で あっという間にスターの仲間入りをする。 |
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1966 | 23歳 「エ・モア・エ・モア・エ・モア」は夏前に発売され 何日かのうちに、全てのヒット・チャートの1位を独占する。 デュトロン=ランズマンのコンビで、 続いて3枚のスーパーシングル盤 (4曲入りの当時の標準規格)をリリースし、 「ミニ・ミニ・ミニ」や 「レ・ジャン・ソン・フ、レ・トン・ソン・フル」も ヒットを収める。 |
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1967 | 24歳 ランズマンとデュトロンは続いて 「レ・プレイ・ボーイ」「ラ・フィーユ・ド・ペール・ノエル」 「女の子たちが好き」「レ・カクトゥス」をレコーディング。 その間、アカデミー・シャルル・クロ大賞を受ける。 |
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1968 | 25歳 5月革命。「午前5時、パリが目覚める」を発表。 この曲の大型フルートの素晴らしい演奏は ジャン=ピエール・ランパルによるもの。 この年の事件を強く物語るシャンソンである。 また時事的な曲「日和見主義者」を発表。 |
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1969 | 26歳 作品は 新曲が出る。 「ラヴァンチュリエ」「スチュワーデス」 「ラケル・デ・ドュー・エ・ラ・ピュイ・スノッブ?」 |
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1970-1973 | 27〜30歳 漫画家のフレッド(「フィレモン」の作者)と組んで 子供向けの2枚のレコードをリリース。 またアルセーヌ・ルパンに捧げたテレビドラマのテーマ曲、 「ラルセーヌ」と「怪盗紳士」をレコーディング。 その後、叙情的で愛情にあふれる一曲、 「ル・プチ・ジャルダン」にとりかかる。 ジャン=マリー・ペリエの映画 「アントワーヌとセバスチャン」に出演。 |
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1974-1979 | 31〜36歳 この間、多くの映画に出演し、成功を収める。 彼の人気の秘密である軽いイメージとはまったく反した役を演じる。 ズバウスキーの「ランポルタン・セ・デメ」 そしてジャック・ルーフィオの「イザベル・アジャーニの女泥棒」 クロード・ルルーシュの「夢追い」クロード・ソーテの「マド」 フランソワ・ジロの「レタ・ソヴァージュ」 ジャン=リュック・ゴダールの「勝手に逃げろ/人生」に出演。 |
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1980-1981 | 37〜38歳 映画のために音楽活動は休止していたが、 盟友のゲンスブールと一緒にアルバム「戦争と屁」、 またシングル「愛の賛歌(モア・ルノー)」をレコーディングをする。 このアルバムは大ヒットには至らなかったが 歌手としての復帰は音楽界の大事件となる。 映画ではクリスチャン・ド・シャローヌの「マルヴィル」に出演。 |
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1982-1983 | 39〜40歳 音楽作品ではニュー・アルバム「セ・パ・デュ・ブロンズ」を発表。 また映画においてはジャン=ルイ・コモリの「オンブル・ルージュ」 ジャン=ピエール・モッキーの「ヤ・ティル・アン・フランセ・ダン・ラ・サル」 アラン・ジェシュアの「パラディ・プー・トゥス」、バルベ・シュローダーの「レ・トリッシュール」に出演。 |
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1984 | 41歳 ニュー・シングル「メルド・イン・フランス」が大ヒット。 このタイトルはメディアに大量に流れる。 |
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1987 | 44歳 アルバム「C.Q.F.デュトロン」を発表。 バンブー(ゲンスブールの新しい彼女)とのデュエットの 「レ・ジャン・ド・ナリーヌ」「オピユム」、 またムヴリニとの共作「コルシカ」は、 彼の第2の故郷へのオマージュを歌ったもの。 またこのアルバムではデビッド・ボウイの古くからのギタリストとストラングラーズのベーシスト、ジャン=ジャック・バーネルが参加。 ロック色の強いアルバムとなる。 |
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1988 | 45歳 ソフィー・マルソーの相手役としてズラウスキーの映画 「私の夜はあなたの昼より美しい」に出演。 これはラファエル・ビエデューの小説の映画化。 |
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1992 | 49歳 モーリス・ピアラの映画「ヴァン・ゴッホ」で セザール主演男優賞を受賞。 パリでは「カジノ・ド・パリ」のコンサートを 11月3日から4週間にわたって開演。 |
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1993 | 50歳 「カジノ・ド・パリ」のショーは大成功を収め、 地方でもツアーを行う。 再び戻った「カジノ・ド・パリ」の公演では 毎晩違ったインタビュアーを迎える。 2月、ヴィクトワール・ドゥ・ラ・ミュージック (フランスで最も栄誉ある音楽賞)でこの年の最高公演賞を受ける。 このライヴの模様はヴィデオでも発売され、 60万枚以上のセールスを記録する。 この頃、デュトロンのレパートリーを集めた コンピレーションがいくつも発売される。 |
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1995 | 52歳 ニューアルバム「ブレーヴ・ロンコントル」を発表。 このシンプルで品の良い作品では、 「トゥー・レ・グー・ドン・ダン・マ・ナチュール」で エティエンヌ・ダオとデュエットしている。 |
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1996-1999 | 53〜56歳 映画「ル・メットル・デ・ゼレファン」「マヌー」のため ジンバブエとカメルーンのロケに参加。 また2枚のコンピレーション「33アン・ド・トラヴァイユ」を発売。 1枚目はヴォーグ時代のレコーディングを集めたもの、 2枚目はCBSソニー時代のもの。 |
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2000 | 57歳 新世紀の始まりは音楽に帰った。 特筆すべきはラッパーのストミ・バグシとの 意外な組み合わせのデュエット。 皆が待ち望んでいたニューアルバムは、 奥さんのフランソワーズ・アルディの ニューアルバムへの参加という形で実現。 素晴らしい二人のデュエット 「ピュイスク・ヴー・パルテ・ゾン・ヴォアイヤージュ」は ジャン・ノアン作詞の古いシャンソンのリヴァイバル。 |
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