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1943年4月28日、パリに生まれる。
父親はパリ炭坑のエンジニアとして働くかたわら、
地元のダンスパーティーで活躍するピアニスト。
そんな環境で育ったデュトロンは初めは
ギターよりもピアノを好んで演奏する。
17歳
リューマチを患い、学校を休学。
ベッドの上でギターの練習をする日々が続く。
18歳
他の友達3人と一緒に
バンド「レ・トリトン」を結成。
映画や学校に行ったり、当時の人気クラブ、
ゴルフ・ドゥルーに通ったりする。
19〜20歳
2番目のバンド、「エル・トロ・エ・レ・シクロンヌ」では
2枚のレコードを発表。
ヴォーグ・レーベルのアーチスト担当である
ジャック・ウォルソンが彼らに目をつける。
21歳
兵役が終わって、ギタリストになる。
特にエディ・ミッチェルや
ヴォーグ・レーベルのアシスタントの仕事をする。
フランソワーズ・アルディのために「恋の季節」と
「ヴァ・パ・プランドル・アン・タンブール」を作曲。
22歳
ジャック・ウォルソンが
月刊誌「プレイボーイ」の編集長である
ジャック・ランズマンの歌詞をデュトロンに渡す。
デュトロンはそれらの作曲をしたが、
演奏する歌手を見つけられなかったので
自分でレコーディングすることを決意。
このファースト・シングル「エ・モア・エ・モア・エ・モア」で
あっという間にスターの仲間入りをする。
23歳
「エ・モア・エ・モア・エ・モア」は夏前に発売され
何日かのうちに、全てのヒット・チャートの1位を独占する。
デュトロン=ランズマンのコンビで、
続いて3枚のスーパーシングル盤
(4曲入りの当時の標準規格)をリリースし、
「ミニ・ミニ・ミニ」や
「レ・ジャン・ソン・フ、レ・トン・ソン・フル」も
ヒットを収める。
24歳
ランズマンとデュトロンは続いて
「レ・プレイ・ボーイ」「ラ・フィーユ・ド・ペール・ノエル」
「女の子たちが好き」「レ・カクトゥス」をレコーディング。
その間、アカデミー・シャルル・クロ大賞を受ける。
25歳
5月革命。「午前5時、パリが目覚める」を発表。
この曲の大型フルートの素晴らしい演奏は
ジャン=ピエール・ランパルによるもの。
この年の事件を強く物語るシャンソンである。
また時事的な曲「日和見主義者」を発表。
26歳
作品は 新曲が出る。
「ラヴァンチュリエ」「スチュワーデス」
「ラケル・デ・ドュー・エ・ラ・ピュイ・スノッブ?」
27〜30歳
漫画家のフレッド(「フィレモン」の作者)と組んで
子供向けの2枚のレコードをリリース。
またアルセーヌ・ルパンに捧げたテレビドラマのテーマ曲、
「ラルセーヌ」と「怪盗紳士」をレコーディング。
その後、叙情的で愛情にあふれる一曲、
「ル・プチ・ジャルダン」にとりかかる。
ジャン=マリー・ペリエの映画
「アントワーヌとセバスチャン」に出演。
31〜36歳
この間、多くの映画に出演し、成功を収める。
彼の人気の秘密である軽いイメージとはまったく反した役を演じる。
ズバウスキーの「ランポルタン・セ・デメ」
そしてジャック・ルーフィオの「イザベル・アジャーニの女泥棒」
クロード・ルルーシュの「夢追い」クロード・ソーテの「マド」
フランソワ・ジロの「レタ・ソヴァージュ」
ジャン=リュック・ゴダールの「勝手に逃げろ/人生」に出演。
37〜38歳
映画のために音楽活動は休止していたが、
盟友のゲンスブールと一緒にアルバム「戦争と屁」、
またシングル「愛の賛歌(モア・ルノー)」をレコーディングをする。
このアルバムは大ヒットには至らなかったが
歌手としての復帰は音楽界の大事件となる。
映画ではクリスチャン・ド・シャローヌの「マルヴィル」に出演。
39〜40歳
音楽作品ではニュー・アルバム「セ・パ・デュ・ブロンズ」を発表。
また映画においてはジャン=ルイ・コモリの「オンブル・ルージュ」
ジャン=ピエール・モッキーの「ヤ・ティル・アン・フランセ・ダン・ラ・サル」
アラン・ジェシュアの「パラディ・プー・トゥス」、バルベ・シュローダーの「レ・トリッシュール」に出演。
41歳
ニュー・シングル「メルド・イン・フランス」が大ヒット。
このタイトルはメディアに大量に流れる。
44歳
アルバム「C.Q.F.デュトロン」を発表。
バンブー(ゲンスブールの新しい彼女)とのデュエットの
「レ・ジャン・ド・ナリーヌ」「オピユム」、
またムヴリニとの共作「コルシカ」は、
彼の第2の故郷へのオマージュを歌ったもの。
またこのアルバムではデビッド・ボウイの古くからのギタリストとストラングラーズのベーシスト、ジャン=ジャック・バーネルが参加。
ロック色の強いアルバムとなる。
45歳
ソフィー・マルソーの相手役としてズラウスキーの映画
「私の夜はあなたの昼より美しい」に出演。
これはラファエル・ビエデューの小説の映画化。
49歳
モーリス・ピアラの映画「ヴァン・ゴッホ」で
セザール主演男優賞を受賞。
パリでは「カジノ・ド・パリ」のコンサートを
11月3日から4週間にわたって開演。
50歳
「カジノ・ド・パリ」のショーは大成功を収め、
地方でもツアーを行う。
再び戻った「カジノ・ド・パリ」の公演では
毎晩違ったインタビュアーを迎える。
2月、ヴィクトワール・ドゥ・ラ・ミュージック
(フランスで最も栄誉ある音楽賞)でこの年の最高公演賞を受ける。
このライヴの模様はヴィデオでも発売され、
60万枚以上のセールスを記録する。
この頃、デュトロンのレパートリーを集めた
コンピレーションがいくつも発売される。
52歳
ニューアルバム「ブレーヴ・ロンコントル」を発表。
このシンプルで品の良い作品では、
「トゥー・レ・グー・ドン・ダン・マ・ナチュール」で
エティエンヌ・ダオとデュエットしている。
53〜56歳
映画「ル・メットル・デ・ゼレファン」「マヌー」のため
ジンバブエとカメルーンのロケに参加。
また2枚のコンピレーション「33アン・ド・トラヴァイユ」を発売。
1枚目はヴォーグ時代のレコーディングを集めたもの、
2枚目はCBSソニー時代のもの。
57歳
新世紀の始まりは音楽に帰った。
特筆すべきはラッパーのストミ・バグシとの
意外な組み合わせのデュエット。
皆が待ち望んでいたニューアルバムは、
奥さんのフランソワーズ・アルディの
ニューアルバムへの参加という形で実現。
素晴らしい二人のデュエット
「ピュイスク・ヴー・パルテ・ゾン・ヴォアイヤージュ」は
ジャン・ノアン作詞の古いシャンソンのリヴァイバル。